大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

青森地方裁判所 昭和29年(ワ)213号 判決

原告(反訴被告) 工藤昭治 外一三名

被告(反訴原告) 吉川喜策 外一六名

主文

原告等は別紙物件目録記載の山林二筆につき夫々被告(反訴原告)等各自と同一の割合を以て立木、その他一切の産物を収取する権利を有することを確認する。

被告(反訴原告)等の反訴請求は何れもこれを棄却する。

訴訟費用は本訴及び反訴とも被告(反訴原告)等の連帯負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告(反訴被告、以下単に原告という。)等訴訟代理人は本訴につき主文第一項同旨及び訴訟費用は被告等の連帯負担とするとの判決を求め、反訴につき主文第二項同旨の判決を求め、被告(反訴原告、以下単に被告という。)等訴訟代理人は、本訴につき、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の連帯負担とする」との判決及び反訴につき「別紙物件目録記載(二)の山林(以下本件(二)山林という)につき被告佐藤武逸が二十三分の二、その他の被告等が夫々二十三分の一の共有持分を有すること並びに別紙物件目録記載(一)の山林(以下本件(一)山林という)のうち二町歩につき被告吉川喜策他十二名(別紙当事者目録第二記載○印表示の者)が夫々十六分の一の共有持分を有することを夫々確認する。反訴によつて生じた訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求めた。

第二、原告等の請求原因

一、(支村部落民の入会権)

(一)  本件(一)(二)山林は何れも青森市大字鶴ケ坂の所有であつて、他の大字有山林と同様夙に俗称鶴ケ坂支村部落民全員がこれに入会い、採草、用材及び薪炭材の採取等に使用して来たもので、旧慣上右支村部落民の入会権が確立せられているのである。

(二)  右入会権の内容は使用収益の面に於ては所有権と殆んど撰ぶところはなく、本件(一)(二)の地上の立木その他の毛上一切が含まれる他、土地自体の自由なる利用をも包含せられ、唯、土地処分の点については、前記支村構成員全員の同意の他、大字鶴ケ坂の管理者の行為を要するものである。

(三)  而して右支村部落総体として有する使用収益権に与る部落民各個の肢分権(収益権能)は、世帯を単位とし各世帯主一人につき各一個の割合で定められ、夫々平等であるべきものとされている。唯採草の場合には、部落の権限内にある採草可能な土地全域を毎年平等に区分し、抽せんの上各世帯主がその一をとる定めであり、採草期間については時期的な制限はない。一方立木については、その成長を待つて部落民全員に対し平等に配分されるよう区分し、抽せんの上各世帯主がその一をとる定めであり、伐採期間等についてはその都度部落民全員が協議して定める。

二、(肢分権の取得等)

支村部落は現在原、被告等の他、訴外吉川三吉、同吉川秀作、同千葉健市、同中島幸之、同佐藤浅吉、同小金山孫作の合計三十七世帯を以て構成せられているが、右部落に分家又は転入等の事由で新に世帯を生じたときは部落区長に所定の加入金を納付して入会権利に与るのであるが、加入後三年未満の者は他の世帯主の半分を、三年以上経過した者は他と同等の権利を取得する旧慣である。

三、(原告等の肢分権取得の原因及びその時期)

原告等は何れも原告自身又はその先代において今より約三十年乃至六十年以前に被告等本家から分家し、(但し、被告千葉己之松のみは昭和二十一年分家した。)又は約三十年乃至百年以前他より転入して来たものである。これを詳述すれば次のとおりである。

氏名   部落加入年月日   事由

工藤昭治  大正六年四月    分家

小金山まつ 昭和四年十二月   〃

佐藤利雄  明治四十二年五月  〃

佐藤重次郎 同年四月      〃

吉川久作  昭和四年十一月   〃

佐藤平作  昭和二年十二月   〃

吉川覚太郎 明治三十五年十一月 〃

吉川正之助 大正三年四月    〃

中島幸三  昭和六年十月    〃

今井勇七  明治二十七年二月  転入

千葉己之松 昭和二十一年四月  分家

花田繁十郎 明治四十四年十月  〃

吉川新太郎 明治四十一年九月  〃

而して原告等は右分家若くは転入と同時に所定の加入金を納めて部落民となり、爾来久しい間本件(一)(二)山林につき他の部落有山林におけると同様被告等と同等の利益を享受し、他方公租公課の分担、火入、或いは道路の補修等一切の義務に関しても被告等と平等の負担をなして来たものである。

四、然るに被告等は原告等が本件(一)(二)山林につき有する右の権利を否認するので茲に本訴請求に及んだ。

第三、被告等の答弁並びに反訴請求原因

一、原告等主張の請求原因中、本件(一)(二)山林が公簿上大字鶴ケ坂有となつていること、支村部落が現在原告等主張の三十七世帯を以て構成せられていること、入会地についての右支村部落民の入会権の行使、取得につき原告等主張のような旧慣が存すること、原告等が何れも分家若くは他より転住してきたもので、原告吉川久作、同今井勇七、同千葉柾次郎、同千葉己之松を除くその余の原告等十名が夫々原告等主張の年月日に分家したこと、いずれも所定の入会加入金を納付し本件(一)(二)山林以外の入会地については入会権能を有すること及び原告等のうち多数のものが本件(一)(二)山林についても公租公課を分担したり火入等の手伝をしたことがあることは何れもこれを認めるが、爾余の事実はすべて否認する。

尤も本件(一)(二)山林につき古くは支村部落民全員でこれを使用、収益し、しかも本件(一)山林についてのそれは後記のとおり大正十三年五月村から当時の支村部落民全員に払下特売せられるまでは入会権に基くものであつたが、右払下以後はそれらの者の共有地となつたのであるから、右入会権はこの時において消滅した。又本件(二)山林についての使用収益も同山林が後記のとおり、明治三十四年八月当時の部落民に払下特売せられるまでのことであつて、しかもそれは官有地賃借権に基くものであつた。

なお、本件(一)山林については右払下特売後の昭和三年に一度当時の部落民全員(世帯主)に地上立木を分配して炭焼をしたことがある。又、本件(二)山林については(イ)大正三年春前年の凶作に対処するため、(ロ)昭和四年秋電燈設備敷設寄附金捻出のため、及び(ハ)昭和五年凶作と停車場新設の寄附金を得るため夫々地上の立木を平等配分し木炭を焼いたことがあるが、右はいずれも被告等本家側の原告等に対する恩恵的措置に過ぎない。而して後記本件(一)(二)山林分割後は権利者以外何人も入山せず採草等の事実もない。

二、(本件(一)(二)山林は被告等の共有である)

(一)  本件(一)山林について

(い) 前記支村部落はもと被告前田喜代吉(分家者)を除く被告等十六名及び訴外吉川三吉他五名、計二十二名の世帯を以て構成せられ、その入会山林、原野は約五百町歩存在した。

ところが、部落有林は兎角濫伐されるおそれがあつたので、当局の方針により、従来から縁故関係を有する個人に一部を分割して所有を許し、その他を「統一山」として村公有林とせられることゝなり、大正十三年五月本件(一)山林が当時の支村部落民に対し分割所有させるべきものとして、縁故払下になつたものである。

なお、当時右同様支村部落民に対して払下がなされたものは次のとおりである。

(イ) 青森県東津軽郡新城村(現在青森市)大字鶴ケ坂字田川七十一番一号

原野 三十七町四反八畝二十四歩(俗称新蛇沢)

(ロ) 同所七十七番一号

原野 一町一反四畝二十四歩

(ハ) 同所字早稲田二百四十番一号

山林 七町八畝二十歩

(ニ) 同所二百四十番二号

山林 九町七反七畝一歩

(ホ) 同所二百四十二番

山林 五町九反一畝十九歩(俗称水上沢)

(ろ) しかして、右払下により前記の各山林、原野は何れも当時の支村部落民全員の共有に帰し、従つてその後に別途入会権の生ずるいわれはないのである。ただ、その後の分割手続が遅れ、他方新たに分家し又は転入して来た者に対しても便宜右分割に参加させ権利を取得せしめることとし、結局右(イ)原野については昭和十七年、原告千葉己之松を除く原、被告及び訴外吉川三吉他五名の現在の部落世帯主合計三十六名に、(ロ)原野については昭和二十八年七月頃右三十六名に、(ハ)(ニ)(ホ)の各山林については昭和二十七年秋、右千葉己之松をも含む三十七名に夫々分割せられた。

(は) 然しながら、本件(一)山林については昭和二十六年秋分割方協議のため開かれた部落常会に於て、抑々これが獲得のため相当苦労したいきさつもあつたので特にその功労者の相続人すなわち被告人等のうち佐藤銀次郎、前田専太郎、工藤まん、前田喜代吉を除く十三名(被告表示中〇印のもの)及び訴外吉川三吉、小金山孫作、吉川秀作等の合計十六名に対して優先的に内二町歩を分割所有せしめることゝし残十一町七反一畝十三歩のうち四町歩を千葉己之松を除く部落民三十六名に、その余を右千葉をも含めた三十七名に分割所有せしめる旨合意決定したものである。

(二)  本件(二)山林について

(い) 本件(二)山林は青森市大字鶴ケ坂字早稲田二百四十一番山林(俗称ナガツネ)とともに、もと官有地であつて被告等の祖先がこれを政府より賃借使用して来たが、何れも民有林に挾まれた官有地であつたため不要存地として政府より縁故者に特売せられることとなり、明治三十四年当時の賃借人たる被告前田喜代吉を除く被告等十六名の祖先及び訴外亡吉川篤彌、同吉川太助、同小金山勝太郎、同中島福太郎、同佐藤由吉、同千葉多市の合計二十二名に払下げられ茲に前記山林は何れも右二十二名の共有地となつた。

(ろ) ところが右山林はその分割、測量等の手続が煩雑であつた等の事情により分割をなさず登記名義上も一時大字鶴ケ坂有としていたものである。そして、その間被告前田喜代吉を除く被告等十六名が夫々父祖の権利を相続取得し、又訴外吉川秀作は同篤彌を、訴外吉川三吉は同太助を、訴外小金山孫作は同勝太郎を、訴外佐藤浅吉は同由吉を、訴外千葉健三は同多市を夫々相続してその権利を承継し、訴外中島幸之は本家である同福太郎の権利を承継し、その間大正十二年春には被告前田喜代吉を共有者の一人としてこれに加え合計二十三名の共有林となつた。尤も被告佐藤武逸の祖父佐藤藤太郎は、昭和十二年三月十八日、訴外小金山孫作の右持分を譲受けているから、藤太郎の権利を承継した相続により二十三分の二の持分を有する。

(は) ところが昭和二十一年秋、他の共有山林の払下、分割を機に本件(二)山林及び右「ナガツネ」山林についても分割手続を進めることとし、昭和二十一年秋部落常会を開き、その席上、右二筆の山林は何れも本来共有権者たる右二十二名のみにて分割すべきであつて原告等に分割供与すべき筋合はないけれども、払下以後原告等に山の手入等を手伝つて貰つたことがある等の事情を斟酌して、特に右二筆の山林中「ナガツネ」を前記三十六名全員に平等分割してその労に報い、残る本件(二)山林のみを右二十二名にて分割することに協議決定した。よつてその頃、右二十二名は抽せんの上夫々分割所有区域を定め爾来同人等に於て各自管理、収益をなして今日に及んでいる。

以上、これを要するに、本件(一)山林は払下当時の支村部落民の共有に帰し、部落常会の決議によつてうち二町歩が特に被告等(当事者目録被告表示中〇印のもの)十三名及び訴外吉川三吉、同小金山孫作、同吉川秀作の計十六名の共有地となつて、右被告等は各十六分の一の持分を有するものである。又本件(二)山林は前記払下特売により現在被告等全員及び訴外吉川三吉他四名計二十二名の共有地となつたもので、被告等は各二十三分の一(但し被告佐藤武逸のみは二十三分の二)の持分を有するものである。

よつて茲に反訴請求として原告等に対し被告等が夫々前記割合による共有持分を有することの確認を求めると述べた。

第三、被告等の主張並びに反訴請求に対する原告等の答弁及び反駁

一、被告等主張の俗称新蛇沢他四筆の土地及び俗称「ナガツネ」山林が主張の日時、主張の者等に対し分割される旨定められたことはこれを認めるが、その余を否認する。

二、本件(一)山林につき有効なる分割決定がなされたことはない。被告等は部落常会に於て分割決議したと主張するが、それは被告等一部のものが、当時の区長訴外吉川三吉を排除して縦に集合謀議したものに過ぎず、固より支村部落民全員の同意を得たものではない。

本件(二)山林については部落常会において分割決議せられた事実は全然ない。

尤も被告等主張の如く昭和二十一年秋右「ナガツネ」山林を部落世帯主三十六名に平等分割すべきことを定めた部落常会の席上「ナガツネ」に引続いて本件(二)山林も又同様分割せんとしたところ被告等は策を弄して二三日延期すべきことを申出て、原告等を引取らせた上、原告等の不在に乗じこれを被告等のみにて勝手に分割することを定めようとした。ところが途中原告等の知るところとなりこゝに原被告等間に熾烈な争が発生するに至り、遂に未分割のまゝ今日に及んでいる。

三、本件(一)(二)山林は何れも寄附統一外山林で、大字鶴ケ坂有として古くから支村部落民の入会して来たものであること既に原告等の主張しているとおりであつて、支村部落民に払下られたとの事実は否認する。

第四、立証

原告等訴訟代理人は甲第一号証乃至第五号証を提出し、証人吉川三吉、同吉川秀作、同川原田松太郎、同淡谷悠蔵の各証言及び原告千葉己之松、同吉川新太郎、同吉川久作各本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の一乃至三、第二号証の一、二第三号証の一乃至六、第四号証の一乃至四、第五号証の一、二、第六号証の一乃至二十一、第七号証の一、三、同号証の二中分割表示の横線及び人名部分を除くその余第八号証、第十六号証乃至第三十六号証の各成立を認め、乙第七号証の二中の右除外部分の成立は否認する。右は被告等において勝手に加筆したものである。その余の乙号各証の成立は不知、加筆前の乙第七号証の二を利益に援用すると述べた。

被告等訴訟代理人は乙第一号証の一乃至三、第二号証の一、二、第三号証の一乃至六、第四号証の一乃至四、第五号証の一、二、第六号証の一乃至二十一、第七号証の一乃至三、第八号証第九号証の一、二、第十号証乃至第十二号証第十三号証乃至第十五号証の各一、二、第十六号証乃至第三十六号証を提出し、証人坂本甚八、同中島幸之、同佐藤浅吉、同小金山孫作、同柿崎長十郎、同倉内東之助の各証言及び被告工藤英夫、同工藤亥之助、(第一、二回)同佐藤政吉、同前田喜代吉、同佐藤銀次郎各本人尋問の結果並びに検証の結果を援用し、甲第三号証を不知と述べ、その余の甲号各証の成立を認めた。

理由

一、 本件(一)(二)山林が公簿上青森市(もと青森県東津軽郡新城村)大字鶴ケ坂有に登載されていること、大字鶴ケ坂俗称支村部落が現在原被告等及び原告等主張の吉川三吉他五名計三十七世帯を以て構成されていること、入会権の存する土地についての支村部落民(世帯主以下同じ)の入会権の行使、取得につき原告等主張のような旧慣の存すること、原告等が何れも分家若くは他より転住してきたもので、原告吉川久作、同今井勇七、同千葉柾次郎、同千葉己之松を除くその余の原告等十名が夫々原告主張の日、すなわち明治三十五年十一月ないし昭和六年十月頃までの間に分家したものであることは何れも当事者間に争なく、成立に争のない乙第六号証の五(戸籍謄本)によれば原告吉川久作は昭和七年八月に、同乙第六号証の十六によれば原告千葉柾次郎は昭和二十一年七月に、同乙第六号証の十五によれば原告千葉己之松も同年七月に夫々分家し、同第六号証の三及び四によれば原告今井勇七はその前々主今井園次郎において明治二十七年二月他より転入しているものであることが認められ、原告等が何れも右分家又は転入当時夫々所定の入会加入金を納付していることは被告等の認めて争わないところである。

二、先ず、本件(一)(二)山林につき右支村部落民の入会権が存するか否かの点(その所有権が財産区たる大字鶴ケ坂に属するか否かの点は暫く置く)について判断するに、本件(一)山林が大正十三年五月当時(被告等において村から払下があつたと主張する時期)までは支村部落民の入会地であつたこと、右(二)山林についても明治三十四年八月頃(被告等において官有地払下が行われたと主張する時期)までは支村部落民全員による使用収益が行われていたことは被告等の自陳するところであり、近年では、本件(一)山林につき昭和三年中凶作に対処するため一回、本件(二)山林については大正三年春、次いで昭和四年秋、更に昭和五年中に各一回夫々凶作又は電燈設備或は停車場新設による寄附金拠出のため何れも当時の部落民全員に対し地上立木を平等分配して製炭せしめていることも被告等の認めて争わないところである。又証人吉川三吉、同吉川秀作、同小金山孫作、同佐藤浅吉の各証言及び原告吉川新太郎、同吉川久作、被告工藤英夫(その一部)各本人尋問の結果を綜合すると、本件(二)山林には数反歩の秣場が存在し毎年一定の時期を画して部落全員でくじを引き平等にその位置を配分草刈をなして来たこと、他の部落有とせられ入会権の存在する山林原野等における場合と同様本件(一)(二)各山林についても毎年四月上旬から入梅時までの間に山火防止のため部落の各戸より二、三人宛交替で順次見廻りに従事し、又山道の修理及架橋工事に際しては部落民全員が平等に労力を提供し、部落民全員で火入をなし、その公租公課も部落全員で平等に分担し、分家者又は他からの転入者である原告等に対してもいわゆる本家側に属する被告等の何人とも差別なく取扱われて来た事実が認められる。被告工藤英夫、同工藤亥之助(第一、二回)各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定の各事実と、被告等において本件(一)山林と同時に支村部落民に縁故払下があつたと主張する旧青森県東津軽郡新城村大字鶴ケ坂宇田川七十一番一号原野三十七町四反八畝二十四歩外四筆、及び本件(二)山林同様政府から払下になつたと主張する同大字字早稲田二百四十一番山林(俗称ナガツネ)について夫々原告等のうち分割協議があつたとする当時の原告をも含めて平等分割の決議が行われている事実(この点は当事者間に争がない)とに徴すれば支村部落民は本件(一)(二)山林につき古来から少くとも後記の分割に絡む悶着が発生するまでの間は新なる他からの転入者又は分家者をも加え、いわゆる本家側とも称すべき従来の居住者と区別するところなく平等に使用収益し、義務を負担して来たことが明らかであつて、これによると本件(一)(二)山林は支村部落の入会地であり、従つて原告等は同地につき被告等と同等の入会権能を有するものと解するのが相当である。

三、被告等は本件(一)山林は大正十三年五月旧新城村から当時支村部落民に特売せられて同人等の共有となり、このときにおいて同山林の入会権は消滅し、本件(二)山林はもと官有地で部落民の使用収益は賃借権に基くものであり、しかも明治三十四年六月当時の部落民二十二名に縁故特売せられ同人等の共有に帰したもので、爾後の本件(一)(二)山林に対する部落民全員による使用、収益は新たなる分家者等の協力に対する恩恵的措置に過ぎない旨主張する。しかして

(イ)  成立に争のない乙第一号証の一乃至三、同第二号証の一、二によれば新城村長は本件(一)山林につき他の大字鶴ケ坂有財産(山林原野)と共に大正十三年五月十九日同村議会に関係部落民に縁故特売すべき旨の大字有財産処分案を提出し同月二十日その旨の決議が行われていることが認められ、右によれば本件(一)山林は被告等主張の如く右決議により一応当時の支村部落民に特売せられ同人等の共有に帰したものと推認し得るが如きも、前に認定したとおり同山林が今なお公簿上大字鶴ケ坂有として登載されている事実と成立に争ない甲第四号証、同乙第十二号証によつて認められる昭和三十年五月十八日付を以て青森市新城支所長から青森県知事に対し本件(一)(二)山林を含む村有及び大字有山林等につき同年二月十日行われた新城村議会(合併前の)の財産処分(分割)に関する決議書を添附して処分案認可の申請を提出し、その旨の認可を受けている事実とを合せ考えると、前記決議によつては未だ所有権は当時の部落民に移転していないものと認めるのが相当であるばかりでなく、仮に被告等主張の如く右(一)山林が部落民の共有に帰したとしても原告等のうち右決議のあつた大正十三年五月以前の分家者又は転入者についてはこれを除外すべき理由がなく、又、一旦確定した入会権は地盤の所有権の移転により当然消滅し或は存続し得ないものとはいゝ難く、その廃絶のためには入会権能を有する部落民全員の合意に俟たなければならないものと解すべきである。従つて斯る手続の履践された事実に関し何等の主張立証のない本件では固より前段認定の部落民全員による使用収益が共有者の恩恵的措置に基くものとは認められない。被告等の本件(一)山林に対する右主張は採用の限りでない。

(ロ)  又、何れも成立に争のない乙第三号証の一及び三、同第五号証に被告工藤英夫本人尋問の結果を綜合すると、本件(二)山林はもと官有地で被告等主張の日(明治三十四年八月二日)に政府から「大字鶴ケ坂村中」なる名義で払下を受け地券の書換を受けている事実が認められるけれども、同山林についての支村部落民の使用収益が賃借権に基くものであるとの点はこれを肯認せしめるに足る何等の資料がない。しかして前記乙第一号証の一乃至三、同第二号証の一、二、同第十二号及び甲第四号証によれば本件(二)山林についても前段認定の本件(一)山林の場合におけるが如く新城村長は大字鶴ケ坂の所有財産として村議会に対し処分案を提出し、更に昭和三十年二月十日の村議会においてもその分割条件等に関する処分案を提出してその決議を得、次いで町村合併後の新城支所長から県知事に対しその認可の申請をしていることが明らかであつて、これ等の事実と前に認定した公簿上現に大字鶴ケ坂有として登載された儘になつている事実とを総合すれば、右の政府払下は財産区たる大字鶴ケ坂に対するものであつて、当時の支村部落民に対する払下ではなかつたものと認めるのが相当である。尤も乙第三号証の一乃至三、同第四号証の一乃至四によれば本件(二)山林とこれと同一性質(官地で払下となつたもの)の字早稲田二百四十一番山林については「大字鶴ケ坂村中」なる名義で他方本件(一)山林及びこれと同性質の他の山林、原野については単に村中持の名義を以て夫々その土地台帳に登載され、その取扱を別異にしているが如きも後者の山林等に関する台帳は明治二十年度の帳起に係るもので、前者とその記載の時期を異にすることが明かであるから右によつては必ずしもその趣旨を異にするものとは断じ難く又、被告工藤亥之助本人尋問の結果(第二回)及び同人の供述によつてその成立を認め得る乙第十一号証によると、訴外小金山孫作は本件(二)山林につき昭和十二年三月十八日付を以て「縁故者として今後自分へ配当せられる土地及び地上物件一切」を訴外佐藤藤太郎に売渡す旨約定している事実が認められるがこの事実のみによつては未だ右認定を覆すことはできない。他には右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、官有地については従前入会権が存在していたとしても明治初年の地租改正に伴う官民有所有区分の際の官地編入処分により消滅し、後の部落民による該地の使用、収益は従来の入会権の継続ではなく、別個新なる事実的法律的関係に基くものとし官有地に対する入会権の存在を否定する見解もないではないが、右地租改正及び官地編入処分の目的並びにその運営の実際を仔細に検討するときは右見解は必ずしも理論的ないしは実際的な根拠に乏しく、むしろ慣行による入会権利関係は官地編入後においてもその儘存続するものと解する。

従つて、本件(二)山林についての被告等の右主張もその理由がない。

四、更に被告等は反訴として本件(一)山林については昭和二十六年秋、同(二)山林については昭和二十一年秋何れも部落常会を開き部落世帯主全員の同意の下に夫々被告等主張のとおり分割所有することに協議決定し、右により被告等は夫々請求趣旨記載の持分を有する旨主張するが、本件(一)(二)山林が被告等主張の払下等によつてその共有に帰したものとは認められないことは上来認定したとおりであるから共有に属することを前提とする被告等の反訴請求は既にこの点において失当として排斥を免れないのであるが、一面、主張の如く部落民全員による分割に関する協議成立の事実が認められるにおいては、この時において入会関係の廃絶を齋らすものというべく、よつて進んでこの点についての判断をするに、証人小金山孫作の証言及び被告工藤英夫、同工藤亥之助(第一、二回)各本人尋問の結果中右被告等主張の事実に副う供述部分は容易に措信し難く、他にはこれを認めるに足る証拠がなく、却つて、証人吉川三吉同淡谷悠蔵、同中島幸之、同佐藤浅吉、同小金山孫作、同吉川秀作の各証言、原告吉川久作、同吉川新太郎各本人尋問の結果と成立に争のない乙第八号証に検証の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すると、被告等主張の頃夫々部落常会が開かれ、本件(一)山林についての分割の相談が持出された際、被告等本家側の者から三分の一を本家側に、残る三分の二を本家分家の別なく平等に分割する旨の提案があつたが、原告等の反対に遭い結論を得ることなくして終り、爾来何人も現実に手をつけないで今日に及んでいること、又、本件(二)山林についても被告等主張のような提案がなされたが、これに対しても原告等が反対して容易に纒らなかつたこと、然るに右(二)山林についてはその後被告等本家側のもののみの協議で勝手に現地に赴き分割区分し、被告中にはその地域に既に植林までしている者の存すること、このことが原告等の知るところとなり以後被告等との対立抗争が続き、その間関係有力者による仲裁等もあつたが遂に話合がつかないで今日に及んでいる事実が認められる。

そうだとすれば本件(一)(二)山林については現在もなお原告等を含む支村部落民の入会権が確立しているものといわなければならない。

五、よつて本件(一)(二)山林につき被告等と同等の共同収益権あることの確認を求める原告等の本訴請求は理由があるのでこれを認容すべきものとし、他方被告等に主張の如き共有持分があることの確認を求める反訴請求は何れも失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐々木次雄 宮本聖司 右川亮平)

物件目録

(一) 青森県東津軽郡新城村大字鶴ケ坂字田川七十七番二号

山林 十三町七反一畝十三歩

(二) 同県同郡同村大字同字早稲田二百四十六番

山林 三十七町五反十一歩

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例